そして使用に供される新芽は、非常に柔らかく、繊細で、極度に滑らかで、霜にあえばしぼみやすく、害をこうむるので、主要な栽培地である宇治の広邑ではこの茶の作られる茶園なり畑なりで、その上に棚を作り、葦か藁かの蓆で全部を囲い、二月から新芽の出始めるころまで、すなわち三月の末まで、霜にあたって害を受けることのないようにする。
これは、16世紀末、ポルトガルのイエズス会宣教師であったジョアン・ロドリゲスが「日本教会史」に記した、宇治茶についての一文です。
お茶のうまみ成分であるテアニンなどのアミノ酸類は根で作られ新芽に蓄積されますが、日光に当たると渋み成分であるカテキン類に変化することがわかっています。
最初は霜の害から新芽を守るために始められたであろう覆いですが、おそらくその下で育てられた茶の色や味、そして香りがよくなったことで、その後、栽培方法として確立されたと思われます。
葦と稲わらを用いて遮光する本ズ茶園は非常に手間がかかるため、今では、覆い下茶園の多くが寒冷紗による遮光ですが、本ズ茶園に入ると、そこは寒冷紗の覆い下茶園よりも、ぼんやりと柔らかく光が感じられる空間です。これは寒冷紗の繊維が降り注ぐ日光を一定の方向に遮るのに比べ、無数の藁が日光を乱反射しているからだと思われます。また、寒冷紗が差し込む光に含まれる紫外線や赤外線を均一に遮ってしまうのにしてしまうのに比べ、本ズに使われる藁は紫外線をしっかりと遮ることが計測によってあきらかにされています。
「簀の下十日、藁下十日」と宇治では昔からいわれますが、実際にはそれよりもゆっくりと長い期間をかけて遮光をし、じっくりとうまみを葉に蓄えさせていきます。藁の葺き具合で、茶の葉に届く日差しが変わります。葺いた藁の厚さが今どのくらいなのか。縦横の足場に渡し広げられた地上2メートルの簀の上で藁を葺くのは、経験と勘、そして想像力の勝負です。
参考:橋本素子『中世の喫茶文化 儀礼の茶から「茶の湯」へ』 吉川弘文館 2018